知ってもらうということがすべてのはじまり

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発信することで知ってもらう

ざっくりだけど、ぼくはギターばっかり弾いている時期があって、ふらふらしている時期があって、サラリーマンの時期があって、フリーでデザインやってますという時期が今。

サラリーマン時代に出会った人は、ぼくの過去を知らないので自分から「ギター弾けます」ということを言葉に発するか、実際に弾いてみるなりして伝えないと、ぼくのキャラクターが「ギターが弾ける人」にはならない。

 

最近ぼくのことを知ってくれた人は、これを書いたことで「ギター弾いてた人」とか「サラリーマンしてた人」みたいな印象になったかと思います。

 

自分にはあたりまえのことでも相手には意外な一面になる

ずっと昔から知っている友人の意外な一面を見た。みたいなことってあるけど、それもその友人にとっては意外でもなんでもないことなのに、受け取り側が見たその行動回数の少なさや普段とのギャップから勝手に意外と判断されたりする。

 

自分の心の中でどう思っていようが、発信したものを誰かが受けとった瞬間に自分のキャラクターがつくられて評価されるので、誰かに知られてはじめて世の中に自分が存在するといってもいいかもしれない。

 

無人島で世紀の大発見をして誰にも伝えられないまま死んでしまったら、それは大発見をしていないのと同じ。

それどころか、後からその無人島に来た人がそれを見て、大発見の横取りをされる可能性もある。

大発見をしたら「ちょっと聞いて!大発見した!ねぇ聞いてる?大発見したよ!」と誰かに伝えるのが大切。

できればわかってもらえる人に伝えたい。

 

ピカソになるかゴッホになるか

絵画に興味がない人でも知っている画家の話を少しだけ。

 

スペインの画家ピカソ(1881-1973)とオランダの画家ゴッホ(1853-1890)。

 

どちらも世界的に有名な芸術家だけど、芸術家としての生き方がまるで違う。

ゴッホの絵は生きている間に1枚しか売れなくて(もうちょい売れた説もある)、その生涯は貧困と孤独に悩んだ人生だった印象を受ける。

 

これに対しピカソは生涯、たくさんの女性に囲まれながら絵が売れまくって多くの遺産を残したとされている。まるでロックスターのような生き方。

 

ピカソもゴッホも同じように絵を描いてきたにもかかわらず、なぜこうも真逆な人生だったのか。

ピカソのほうがゴッホよりも優れていたから?そうではないことを現代のぼくたちが知っている。

じゃあ何でこの差は生まれたか。

 

ピカソは自分の絵が売れるようにする方法を考えてそれを実行していたから。

 

つまりピカソは絵を描くだけではなく、描いた絵をいろんな人に見てもらうために、多くの場をつくり、絵に興味がある人をそこに招待したりするなど自分の描いた絵を知ってもらうために活動していた。

このあたりの詳細は"なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?"を読むとおもしろい。

ただ絵を描き続けただけでは、ゴッホのように人生の幕を閉じてから描いた絵が世間に評価されていたかもしれない。

ちなみにぼくは、ピカソの人生のほうがいいなと思いつつもゴッホの刹那的な生涯に魅力を感じてしまうので莫大な遺産を残せないタイプかもしれない。悲しい。

 

知ってもらうことがすべて

世界は自分のことをただ知らないだけの可能性のほうが高いし、勝手に知ってくれるわけではないっぽいです。

もし、「思うようにいかない」とか「不当な評価を受けている」「誰もわかってくれない」と感じている人は、日々の発信を見直すと少し良いことがおきるかもしれないよ。

この記事を書いた人
hico

グラフィックデザイナー。文章書いたり写真撮ったりもしてます。
映画と音楽、美味しいコーヒーがすき。

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